2023/06/26 08:24
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余暇時間のなかの一つに読書時間がある
このようなことを申しますと恐縮ですが、
たとえば、文学フリマの運営者や、文学フリマの出店者が地域のイベントに参加し、顔を売っていく、宣伝をかけていくことで、文学フリマに行かない人たちに、面白そうだと思わせることが必要になります。
「必要」と書きましたなら、何か難しいことを無理にでもやるという印象を抱くかもしれませんが、じつはこれは特別なことではなく、地域で活動している芝居の劇団、個人の絵描き、フリーランスのイラストレーターなどの人は、当たり前にやっていることなのです。
彼らは複数人で開催するイベントなどに参加したり、自ら開催したりして、顔を売る機会を増やし、作品をネットにはない場所で見てもらう努力を積み重ねています。
芝居や絵画の人と、文芸の人には、地域での活動に明らかな差がある。
ここに私が「文学フリマのすすめ」を書いている、真の理由があります。ここまで拙文を読んでくれた人の中には、私が自分のお客さんのみを考えて文学フリマを論じているというように、思う方もいたかもしれませんが、決してそうではありません。
文芸以外の人
たとえば芝居や絵画の人たちも含めた大局から文芸の行く末を論じるべきだ
と思うのです。
人には限られた余暇の時間があります。
睡眠、労働、家事などを除くと、一日一時間から二時間という人も少なくないでしょう。この中に読書時間がある。読書離れが進んでいる昨今、仮に毎日読書をする人がいたとしても、読書にかける時間は少ないのが現状ではないでしょうか。もちろん最近は電子書籍という手軽な選択肢が増えましたが、無料で楽しめるアプリゲームや動画サイトがそれ以上に充実しています。やはり画面越しに楽しむならば、文字よりも動画に惹きつけられます。また、最近はガス代・電気代等の生活費の請求書が電子化される流れにありますから、今後スマートフォンを使う機会はさらに増えるでしょう。然るに読書時間を減らす環境はますます整っていく。
そんな状況のなかに、劇団や絵描きたちによる魅力的な場づくりが追い討ちをかけます。
文芸同人は
SNSなどのテクノロジーに甘えすぎた一面があります。
絵画やイラストはネット上で拡散しやすい分野でありますが、絵を見せる上で重要なサイズ感や質感がスマートフォンなどの画面の制約を受けてしまいます。私の住む山口県を例に挙げますと、発表と鑑賞の場をギャラリーに求める人がやはり多いのです。芝居にも、動画投稿という打ち出し方がありますが、地域の劇団を見ていますと、やはり大道具や音響を工夫した、生の舞台づくりに力を入れています。どちらもネットにはない場所を志向しているのです。これは一地域だけの傾向ではないと考えています。
もちろん、文芸にも作家の谷崎潤一郎が『文章読本』に「読者の眼と耳とに訴えるあらゆる要素を利用して、表現の不足を補って差支えない」と書いたように、書体などの字面も工夫するものだという考えは確かにありますが、最近は、ツイッターや投稿サイトの枠組みに、甘んじている方が多い気がします。
このままでは、ネットにはない場づくりに工夫を重ねてきた、芝居や絵画などの表現に余暇の時間が奪われ、芸術に関心のある人は、ますます文学から離れていく、つまり読書時間を他に回してしまいます。
お金よりも大事なもの
余暇の時間は、週の土日に集中するものです。
イベントに強い芝居や絵画は週末に人を集めます。
週末の文学離れを防ぎ、文学を面白いと思わせるためには、文学フリマに来てもらうことが一番であります。その場に行った人にしかわからない、熱気と高揚。イベントとしての魅力なら、舞台劇や絵画の展示にも、決して引けを取りません。
二〇二二年四月開催の広島の文学フリマに出店していた男性のブログに、文学フリマに行く人の特徴を端的に表した一文があります。
「多分買いすぎた。読むかどうかはまた別の話である。文学フリマで購入した本が家にあるということでしか、満たせない何かがあるのだ」
たとえば本屋に行く人には、買いたい本があっても、いわゆる「積読」を避けるために、買う量を抑えるという心理が働きますが、文学フリマに限っては、そういう心理があまり働きません。誰しも買っただけで読まない本を持つという経験はあるかと思いますが、文学フリマで本を買うことは、また違う意味を持つのです。
じつは「推し活」にも「購入しただけで満足」という心理があり、たとえば推しのアイドルが表紙を飾るファッション誌があると、一冊は読むために、もう一冊はガラスケースに入れて飾るために買うという人もいます。推しの存在を感じられるものが家にある、そのことが彼らに幸福感を与えるそうです。
私が文学フリマで初めて本を販売したのは、二〇二二年四月の広島開催の時でした。広島在住の女性が、私から文芸関連の情報を載せた同人誌を買ってくれました。その際に「私の推し活のような本ですけどね」と自嘲気味に申しましたら「それが一番いいのよ!」と強く励ましてくれました。寛容というよりも肯定してくれるような声でした。文学フリマに出店する作家の中には、このようにお客さんから励ましてもらった、応援してもらったことがある人が少なくないと思います。売り物だけでなく、作家の文芸活動そのものを応援してくれるかのように、買い物を楽しんでくれる。そういう空間であると、販売する側になって気づきました。
なぜそんな空間が出来るのか。
それは同人界隈で活動する人の原動力が、お金ではなく、その場の人間関係に依るところが大きいために、その空間、つまりコミュニティを大事にするからです。この原動力については、以前発行した『文芸同人情報誌 文芸ごきんじょ山口版』第二号の拙文に詳しく書いています。
出店している者同士、好きなものを分かり合える者同士のコミュニティにいることで、やる気が湧いたり幸せを感じたりしているのです。
好きなものを分かり合える人間関係の力を、よく表現している映画があります。
アニメ放送終了後も根強い人気をもつ魔法少女アニメ「おジャ魔女どれみ」のシリーズ二十周年記念として公開された劇場版アニメ「魔女見習いをさがして」。簡単に説明しますと、子どもの頃に「おジャ魔女どれみ」シリーズを見ていた女性三人を主人公に、年齢のばらつきなど、様々な点で異なる女性同士が「おジャ魔女どれみ」が好きという共通点で意気投合し、単に好きを語り合うだけでなく、女性が直面するシビアな現実への悩みを共有し、ともに乗り越える重要な仲間になるという話。
重要な点は
性格も職業も異なる初対面の者同士でも「好きなもの」を分かり合える相手なら人生を生き抜くための大事な仲間になり得る
という点にあります。
文学フリマもこれに似て、
単に文学作品をやり取りするだけでなく、その場にいる人との出会いや人間関係に価値を見出しているのです。
作家は客が半分つくる
そうすると、傍目にはこう思われるかもしれません。
「文章を読みたい客ではなく推し活をしたい客が集まっている」
たしかに、出店する作家の文章の多くは、職業作家よりも劣っていることでしょう。
職業作家の文章とはどういうものなのか、みずから文章を書いている人こそ、分かるものであります。文章ではなく「推し活」に重きを置く、そんなお客さんがいてもおかしくありません。
作家の文章道においては、確かに「推し活」のお客さんばかりに甘んじてはいけないのかもしれません。しかし、だからといってそれを避け、独り善がりになるのもいけません。
「推し活」のお客さんが文章を読みたいお客さんに変わるように仕向けていく努力
それが肝要と思います。
時々通っている読書会に、同人誌の宣伝に伺った際のことです。常連の女史の方が本を買ってくれました。彼女は教員を退職されていてかなりご年配の方でした。ある日の読書会では、読むための体力がだんだん無くなっているから「読み納めをしたいです」とおっしゃっていました。
「読みましたよ。情熱が伝わりました」
また読書会に伺うと、そう声をかけてくれました。本当に嬉しかったです。そうして思うことは、知らないだけで、じつは多くの人が、かけがえのない時間を割いて、本を買ってくれている、つまり「推し活」をしてくれているということでした。
直木賞作家の伊集院静は「作家は客が半分つくる」と述べています。
いくら強みがあってもお客さんが来なければ飲食店は持たないように、作家も同じ、いくら強みがあってもダメなのです。心に浮かぶお客さん一人ひとりに恥じない、いい作家になることが「推し活」に応えることだと思います。
もちろん、己の頭で文章の美を考えるということが、文章道の基本であります。作家のめざす所は、食っていける表現ではなく、生きてて良かったと、そう思えるような文章にあります。しかし、頭の中で、文章の美を探していくことは、途方もないことです。
いい人にめぐり会いましょう。
お客さんの顔が手がかりをくれるはずです。
最後に
さて、随分長く書きましたが、ここまでの文章をふまえて文学フリマに行かない人が抱く二つの疑問「イ」と「ロ」に答えていきたいと思います。
イ 客への疑問
一般的に文学と言えば、本屋に流通するような職業作家の本か教科書や文学館の展示に見るような古典のこと。なぜ文学フリマで本を買うのか?
↓
読書の楽しさ以外にも価値があるからです。
ここには「文学が好き」という人がたくさん集まってきます。好きなもので分かり合える相手なら、嫌いになったりしないし、自然と心を開いて打ち解けることができますよ。もしも気の合う相手だったなら、もっといろんな話ができる大事な仲間にもなれるかもしれません。もちろん好きな文章の本を選んで買うことが多くなりますが、本を買うことには、推しの作家を応援するという意味合いもあります。いろんなブースで立ち話していると、文学が好きな人ばかりだから楽しくてあっと言う間に時間が経ちますよ。
ロ 作家への疑問
アマチュアの本はそうそう売れるものでは無い。出店料に加え移動費や印刷費を考えると多くの人は赤字になるはず。なぜ出店するのか?
↓
直にお客さんの顔を見ながら、文章を発表できるからです。
ここではお客さんと直接やり取りできますし、作家仲間とも知り合いになれます。「文学が好き」という人が集まるコミュニティにいると、やる気が湧いてくるし、文学に興味がある人との立ち話はいつも楽しいですよ。もちろん、文学が好きな人は文学フリマの外にもいますから、他のイベントにも、どんどん顔を出していきます。もしも出店したらツイッターやいろんな所で宣伝しているのでその時はよかったらブースを覗いてくれると嬉しいです!
このように私は答えます。
もちろん、文学フリマ関係者の方々は真似していただいても構いません。文学フリマには行かないけれど、文学を面白いと思ってくれる人たちに、ぜひ、お勧めしてみてください。
(既出:『さきがけ 第11号』、さきがけ文学会、発行日令和4年(2022年)7月1日より一部改訂)
(2023/06/26 ブログ上での読みやすさを考えて改訂。その都合上Webでのページ数を2ページに変更)