2022/10/22 22:25
この文章は、全国八都市で開催される、文学作品を誰でも売り買いできる市場「文学フリマ」について書いたものです。
二〇二三年で初開催から二一年が経ちました。もちろん、その土地に根を下ろしている郷土文芸の同人サークルや、伝統ある同人誌を長年発行している文士の方々と比べましたら、まだまだ若いイベントです。されども、文学をとおして人と人が繋がり合う、新しい場所でありますから、なるべく多くの人に来てもらいたいと思います。
文学フリマをご存知の方からすると、至らぬ点もあるかと思いますが、いわゆるZ世代の戯言と思い、ご容赦ください。
文学フリマに行く人と
行かない人
まず、文学フリマとは何か。
既成の流通システム、もっと言えば既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれない市場のことであり、そこでは出店者(作家)と、来場者(客)が直接やり取りできます。お客さんの入場は無料、作家から一ブース五〇〇〇円程の出店料を集めることで成り立っています。ここで言う「文学」とは「自分が文学と信じるもの」であり、販売される本は、さまざまなジャンルや文章で書かれた、作家それぞれが思う「文学」の形です。
私が実際によく通っています、福岡県と広島県の開催を例に挙げますと、年に一度の催しに、二〇二一年の福岡では四七一人、二〇二〇年の広島では四五二人と結構な数のお客さんがあつまりました。大阪や東京ではそれ以上にあつまることでしょう。
このように書きますと、お勧めしなくても十分に人が来ているじゃないかと思うかもしれません。
しかし、それに甘んじてはいけない事情があります。
じつは私が執筆編集をした同人誌があるのですが、二〇二二年一月に頒布を始めてから三ヶ月で一〇〇部のほとんどを頒布しました。
買ってくれたお客さんに話を聞いてみますと、その多くが文学フリマに行った経験が無い人たちでした。
売り方について書くのは卑しい気もいたしますが、たとえば地域の文学講座や朗読会、批評会、オープンマイクなどに参加して、主催者に許可をもらい、手売りするという方法を主にとってきました。然るに私のお客さんは、文学フリマには行かないけれども、文学を面白そうだと思ってくれる人たちなのです。
当たり前のことを申し上げますが、要するに文学フリマには、これに行く人と行かない人がいるということです。
私が思うに、これに行く人はとにかく行きたいと思う人であり、行かない人は、全く気にせず日々を過ごす人であります。
そして極端に二つに分かれている。
出店する作家の顔ぶれを見ますと、一昨年や昨年と同じ顔を見つけることが少なくない、お客さんの顔ぶれを見ましたら、これもまた然りであります。これにはおそらく地域差があるのでしょう。人の移り変わりの激しい大阪や東京では新顔も多いでしょうけれども、地方の福岡あたりになりますと、決まった作家、決まったお客さんの往来となり、どことなく内輪な、知り合い同士という空気が強い気がします。
なぜ両極端に分かれているのか。考えてみますと、中間層を意識した文章が少ないからではないかと思います。この中間層とはどんな人たちか。私なりに至極簡単ではありますが、五つに分類してみました。
1 同人誌も本も読む/文学フリマにも本屋にも行く
2 同人誌も本も読む/文学フリマには行かない。本屋には行く
3 同人誌は読まない。本は読む/文学フリマには行かない。本屋には行く
4 同人誌も本も読む/文学フリマにも本屋にも行かない
5 同人誌も本も読まない/文学フリマにも本屋にも行かない
2と3の人は、もしかしたら文学フリマに来てくれるかもしれません。
彼らに文学フリマも面白そうだと思わせることが、文学フリマの未来を決める要だと考えています。
ところで、
文学フリマに行かない人たちは文学フリマに対して、二つの疑問をもっているかと思います。
イ 客への疑問
一般的に文学と言えば、本屋に流通するような職業作家の本か教科書や文学館の展示に見るような古典のこと。なぜ文学フリマで本を買うのか?
ロ 作家への疑問
アマチュアの本はそうそう売れるものでは無い。出店料に加え移動費や印刷費を考えると多くの人は赤字になるはず。なぜ出店するのか?
他にも大小様々なものが考えられますが、外から見て生じる、素朴な疑問といえば、この二つが代表的なものと思います。
文学フリマに馴染みのある方からすると、少々答えるのに困ることかもしれません。
人それぞれの勝手なのだから、答える必要はないと思う人もいるでしょう。それはそれでごもっともであります。しかしそうはいっても、これらに答えなければ、文学フリマについて書いたことにはなりません。私なりにこの二つに答えたいと思います。
ただし注意しなくてはいけないことが一つ。
それは、お客さんへの疑問に答えることは、そのまま作家への疑問に通じるところがあるという点です。その逆も然り。
なぜなら
文学フリマでは
「買う人(客)=書く人(作家あるいは元出店者)」
というケースが少なくない。
殊に福岡ではよく見られる光景なのです。そのため、まずは文学フリマの実態を書き、最後に二つの疑問にまとめて答えたいと思います。
文学フリマに行く人の
特徴
文学フリマに行く人の特徴を一言で表しますと、アイドルやアニメの分野でよく言う
「推し活」
に似ています。
「推し活」を説明しますと「推し」とは自分にとってイチオシの人のことであり、「推し」に関する商品を買うことやイベントに行くことを「推し活」と言います。簡単に説明しましたが、このような解釈で問題ありません。
数字で説明するのは角が立ってよろしくない気もしますが、ある企業が二〇二〇年五月二十二日から二十四日までに調査した『推し活と消費に関する実態調査』によると、「推し活」の認知度は、回答者四一一九人のほぼ半数である四十八・三%で、「推し」の対象は、具体的にはアイドルや歌手・バンド、アニメのキャラクターであることが多いそうです。
「推し活」をする人が「推し活」として何をしているのかと言うと、商品やグッズの購入、イベント等への参加、SNSでの情報発信や拡散を主に行なっており、グッズ購入では、缶バッジやうちわ、ポスターといった手頃な商品が購入されることが多い。
じつはこれが
文学フリマの実態に
近いのです。
傍目には「文学」とありますから、本ばかりが売られていると思われがちですが、実際は文学を題材にしたアクセサリーやポストカード、自作の栞に、自作の帯に、自作のブックカバーなど、グッズ販売または無料配布も多いのです。
作家は、自前でこれらのグッズを用意しています。
SNSと文学フリマ
また「推し活」と同じくSNSでの情報発信も盛んに行なわれています。
二〇二二年四月の広島の文学フリマでは、コロナウイルスの感染予防のために懇親会ができず、その代わりに、ツイッターの機能を使った雑談の場が用意されました。
文学フリマに集まる人の中にはツイッター利用者が多い、そういう考えから用意されたのだと思います。
しかしこの場合、
ツイッターを使っていない人には、情報や懇親会の機会が行き届かないということになります。
昨今は多くの日本人がスマートフォンを持っていますから、SNSを使っていないという方が珍しいという印象があるかもしれません。
しかし、ツイッターの利用者数というのは、二〇一七年十月時点で約四五〇〇万人であり、同年十二月の日本の総人口は、一・二六七億人ですから、使っていない人は全体の約六十五%と結構な割合であります。
もちろん、
SNSを使ってはいけないと言いたいのではありません。
文学フリマはインターネットがある二〇〇二年から始まっていますし、おなじく同人誌即売会であるコミックマーケット(通称コミケ)やコミティアとは異なり、最初からインターネットありきの場所として歩み出しました。SNSを使うことは、自然な成り行きと言えるかもしれません。
とはいえ
これに甘んじていると、文学フリマに行かない人がより増えてしまう
と思うのです。
じつは山口県でアートイベントを企画運営しているNPO法人の代表と、SNSと本の情報のすみ分けについて、話をしたことがあります。彼女は私の編集した同人誌を読んでくれた一人であり、その同人誌には、文芸関連のお店や施設、イベントの情報等を載せていました。
「あの本は、お店の情報よりも、あなたのエッセイのような、掘り下げて書くことに力を入れたほうがいいわ。今はSNSで、新しいお店の情報はどんどん拡散されるものよ」
私もそう思うんですが、どうも同人誌を買ってくれたお客さんを見ますと、SNSを使っていらっしゃらない人が多いようで……。私がしどろもどろに話したことを簡潔にまとめますと、マスメディアやSNSで広まることと、お客さんになってくれそうな人に伝わることは、どうやら違う次元の話である、というようなことを申しました。
そうすると、「ユーザーの絞り込みがさすがだわ」と言っていただき、その言葉を聞いて初めて、私のお客さんとはそういう方々なのかな、と具体的に考えることができたのです。
本を売る前は、コロナ禍でありますから、なるべく(私が住んでいる)山口県内のお客さんに絞り込もうと考えていました。しかし、蓋を開けてみますと、SNSでは興味を引くことができないような人たちに、知らずしらずに目をかけてもらっていたのです。
【後半の文章はこちら→ 文学フリマのすすめ|2/2頁】