2023/07/05 23:10

二〇二三年二月にオープンマイクで行った「本のプレゼン」をYouTubeに公開しました。


谷崎潤一郎 作『陰翳礼讃・文章読本』新潮文庫刊より文章のイロハについて書かれた「文章読本」です。



「文章読本」のなかで特に好きな部分は作家たちの文章をタイプ別にまとめた「調子について」。自分の文章を改良するためにこの章を読み返して参考にしている、なんて人も多いかもしれませんね。実用的でおもしろかったです。


タイプ別分類法を使えば
文芸同人仲間の文章を
分析することもできます。



試しに二〇二三年七月に刊行された文芸同人誌『さきがけ 第一二号』さきがけ文学会刊に掲載されている文芸同人の文章を分類してみましょう。

同誌は詩集・絵本に特化した出版社 しろねこ社の「しろねこ書店」のネットショップや、刊行元のさきがけ文学会のネットショップでも購入できますよ(ちなみに私は同誌に短歌一五首の「二八歳からの短歌日記」と散文の「短歌のすすめ 素朴な疑問に答えます編」を投稿しているので読んでくれたら泣いて喜びます)。



▲福岡市を拠点に活動する社会人文芸サークルの「さきがけ文学会」の機関誌。毎年二種の文芸同人誌を出している


毎号、共通テーマで作品を書くという特別企画が用意されるのですが、今回は「地獄の二八歳~あの日の日常を綴って~」という二八歳の時点の自分について書くという特別企画があり、同人たちの六〇〇字程度の散文があつまっていました。そちらを材料にして「文章読本」の分類法に当てはめながら読んでいきましょう。


「簡潔調」
ゆうやさん

これは「叙述を出来るだけ引き締め、字数を出来るだけ減らし、普通の人が十行二十行を費す内容を五行六行に圧縮する、そうして形容詞なども、最も平凡で、最も分り易くて、最もその場に当て嵌まるもの一つだけを選ぶ(文章読本より引用)ような文章です。谷崎潤一郎が第一に述べた「流麗調」とは「正反対の特色」になります。
じつは似たような特徴の文章の人もいたのですが、あえて異なる分類にした理由は後で説明します。先に他の人の作品を見ていきます。

「飄逸調」
篠崎蓮さんと霧谷のあさん

二人に共通するのは辛い苦労話という「話の内容」です。おそらく「話の内容」との調和をとるために「張り詰めたり、力み返ったり、意気込んだりすることは禁物でありまして、何らの気魄もなしに、横着に、やりッ放しに、仙人のような心持で書く(文章読本より引用)ような「飄逸調」の書き方を無意識に選択したのではないかと思います。

「簡潔調:流麗調=五:五」
古都旅人さん

谷崎潤一郎は文章の調子は「簡潔調」と「流麗調」の大体二つに分かれると述べています。そして一つの文章には複数の調子が五分五分や七分三分などの割合に交じった形で書かれていることの方が多いとも言います。この辺りの判断はなかなか難しいですが、私なりに古都旅人さんの文章は「簡潔調」と「流麗調」をバランスよく取り込んだ文章に当たると思います。

「ゴツゴツ調」
中邨政也さん

「ゴツゴツ調」とは、あまり流暢にすらすら書くとその調子に釣られて一気に読んでしまい、一語一語に深く意を留めない恐れ(文章読本より引用)があるため、そういう読まれ方を避けようとするような文章のことです。


〜補足〜
先述したゆうやさんの文章について。ゆうやさんは篠崎さん霧谷さんの作品同様に「話の内容」が「辛い苦労話」で共通しています。
しかし、ゆうやさんだけは「飄逸調」ではなく「簡潔調」に分類しました。その理由はゆうやさんの作品の内容にあります。その作品をよく読んでみると自業自得の側面が大きい「失敗談」であり他の二人と苦労の質が違うことがわかります。篠崎さん霧谷さんと比べ作者の感情が素直に表現されておりつまらない男と付き合っていた。いや、つまらないのは私か」「絶望する」「もう情けなくて、情けなくて」(ゆうや作より引用)など割合湿った文章だと思いましたので「飄逸調」には当たらないと判断しました。またこれは想像ですが、作者自身も「失敗談」を自覚しているために「飄逸調」になることを無意識に避けた書き方をしているのではないかとも思います。「飄逸調」の特徴は何の気魄もない、横着な性格、仙人のような心持ちを読者に感じさせることです。それが表現とはいえ、自分の失敗談をそのように書く人の文章は、読んだ人を少々嫌な気持ちにさせる可能性があります。私であってもその内容にその書き方は避けようと考えますね。
ここで念のため、文章の内容について個人的な感想を言っておくと、ゆうやさんは過去の自分を「ネガティブ」に捉え表現しているだけであり、実際の自業自得の割合は小さいか、ほぼ無いだろうと思います。この感想は私がさきがけ文学会との接点があり、作者のゆうやさんに直接会い、実際の性格を知っているからこそ思うことです。しかし、今回は批評ではなくタイプ別分類法による分析がメインですから、作者の心理には踏み込まず、あくまで作品の言葉のみを読むことに専念しています。


ちなみに、私は特別企画に散文を寄稿していませんが、散文では「冷静調」を意識しています(谷崎潤一郎が述べるような名文の域には達しませんが)。これは私の性格の短所を補いつつ、書きたい内容にとって一番都合がいい方法を考えた末の書き方です。
文章は意識しなければ上達しない側面もありますから、点検を重ね反省する日々であります。


いかがでしたか。このように「文章読本」の知識を用いると文学同人仲間の文章をタイプ別に読み解くことができます。


詳しく知りたい方は
ぜひ谷崎潤一郎著『陰翳礼讃・文章読本』(私は新潮文庫版で読みました)を買って読んで欲しいです。


また、文芸同人誌『さきがけ 第一二号』さきがけ文学会刊を読みたい方はTwitter(現 X )アカウントさきがけ文学会 @sakigake_japanにて随時情報発信中なのでそちらを見てみてくださいね。


それでは本題のプレゼン動画を公開します。詩人 桑原滝弥さんが山陽小野田市立中央図書館で主催する「図書館でオープンマイク」にて行った五分間のお話です。拙いプレゼンですが、わかりやすく伝えるように努めました。

ご視聴いただけますと幸いです。





【ご視聴いただいたみなさまへ】
もしも
本のプレゼンを見て
役に立ちそうだと感じたら
ぜひ本を読んでみてください。

読書は、あなたの人生の役に立ちます。
お得です。
かなりコスパの良い自己投資です。
ぜひ読書に夢中になってください。

そうすると
得をしたいから読書をする生活が
おもしろいから読書をする生活へと
いつの間にか変化するはずです。

なぜなら読書は
ゲーム・アニメ・音楽ライブ・おもしろ動画等と同じ
立派な娯楽の一つだからです。
ゲーム・アニメ・音楽ライブ・おもしろ動画は
その瞬間だけは現実を離れて
夢中になれるから楽しいですよね。

読書も同じです。
夢中になって楽しめばいいんです。

もちろん批判的な読書も大切です。
鵜呑みにすると洗脳等の危険もある。
しかし
読書に夢中になれない人たちは
スマホやパソコンで無限に無料で楽しめる
ゲーム・アニメ・音楽ライブ・おもしろ動画等に
どんどんどんどん時間をつかい
読書をしなくなります。
現にみんな読書をやりたがらない。
ただ、それは当然かもしれません。
だって
夢中になれないと楽しくないでしょう?

自分が得をするための読書
夢中で楽しみたい人の読書
批判的に考えたい人の読書
いろいろな読書のやり方があっていいんです。

必要なときに
必要な読書のやり方に
切り替えることが大切です。

この本のプレゼンが
新しい読書のキッカケになれば嬉しいです。

それでは。